2020/1/4

so-soの新年会に随分久しぶりに参加した。
例年なら4日から仕事をするので不参加だったが、今年はのんびりしようと決めたのだ。
何年か前からなぜか新年たこ焼きパーティーだ。
大阪地方ではかなりメジャーなパーティ。
どいつもこいつもが、「へたっくそやな、貸してみい!」と鉄串を奪い合い、ひっくり返しを競い合い、ひとりゆうに100は食べはって、床が油でズルズルになり、誰かひとりは滑って頭を強打するという、地獄の会だ。

しかし関東では全く違う様相を呈する。
焼かされるのはハブにされたやつひとり、あとはみんないつものように酒を飲みながら「もうないよ!早く焼いて!」と命令するだけのパーティだ。
今年もてっちゃんが、焼くの上手ねえとおだてられ、ひたすら焼き方に徹していた。
できたら大皿に乗せられみんなの待つテーブルに運ばれていく。
そしてあっという間に食い尽くされ、焼くの上手ねえ、早くもっと焼いてーと言われながら皿が戻ってくる。
テーブルにいては若輩の僕などは食うことができない。
それをワンターンで察し、焼き方てっちゃんの横で手伝う振りしたりおだてたり孤独を慰めたりする役に徹する。
そして頃合、大皿に乗せられようとしてるやつの中からきれいなやつ、美味しそうなやつをポンポン口に入れるのだ。
大皿に乗せられることで多少冷め、運ばれていく間に味は落ちていく。
その前の前だ。
ここに人生のうまい生き方があるのだ。

口の中にやけどを負うリスクはあるが、これこそが究極のたこ焼きだ。
士郎さんもびっくりだ。

福井から上京してきたウタウタイが会に紛れ込んでいた。
ギブソンをローンで買い、東京に一人暮らし、週のほとんどをコンビニの夜勤。
昼寝て夜働く生活。
なんでそんな奴が入間の店で新年早々たこ焼きを食っているのか。
なんでもある時下北沢でライブを見て、飲み屋で一緒になったいきものがかりの加藤さんがso-soを紹介したらしい。
「音楽が好きなら入間に行け、so-soに求めるものがあるはずだ」とでも言ったのだろうか。
前途洋々な若者を入間に送り込んできたからには、入間の番人と言われる俺がほっておくことはできない。
「じゃあ君、一曲歌ってみなさい」と言うと、彼は歌わせてくださいと案外スッと歌い出した。
「私は君に一曲と言ったよね。初めて来た店で初めて会う人たちの前で一曲だけ歌うチャンスを君は得た。君に対して一切先入観のない人たちの前で歌った今のその曲のチョイスは果たして正しかったのかい?ほら見てごらん、テーブルの酔っ払いたちは誰も振り向いて耳を傾けようとしなかったじゃないか。チャンスは一度きり、チャンスの神様には毛が生えてないのだ、、、云々でんでん」

「君の目指す道のほんのちょっと先を歩いている先輩がここにいる。チャンスをどう生かすのか、その答えを君に教えてくれると思うよ。彼は今年一人で歌い始めてちょうど10年だという。君が歩くその道の先に彼がいるのか、いや別の道を選択するのか判断は自由だ。それじゃたこ焼き串を置き、ギターを握りなさい。てっちゃん、君の10年を見せてくれ!」
そんな感じで新年会は楽しく進んだ。
福井の青年がてっちゃんを見て、光る一筋の道を見つけたのか、それともてっちゃんのせいでさらに道に迷ったのか、どちらかはわからないがとりあえず終電を逃したようなのでうちに泊めてやったとさ。