2020/09/29 「天国への階段」

今突然思い出した。

というか頭の中にふいに浮かんできた。
あの頃住んでいた借家には屋上があって、そこへ登る狭い階段があった。
僕の人生にはよく借家というワードが出てくる。
アパートやマンションの一室に住んだことの方が多いが、一軒家を借り切ったことが2度あった。
確か21の歳、同じ学校の音楽繋がりの友達から誘われてルームシェア、というかハウスシェアをした。
池袋のそばの千川という町、小さな小さな古い古い家で、隣の家との隙間はほとんどなかった。
二階はふた部屋、一階は居間と小部屋に台所トイレ風呂。
借主の友人は二階のふた部屋、といってもフスマで仕切られただけなので、取っ払って10畳くらいの部屋にして住んでいた。
一階の居間は4畳半くらいあったか、その隣の部屋はもっと狭かった気がする。
その仕切りは今や滅多に見ないアコーディオンカーテンのみだった
居間と水回りは共有、僕のプライベートスペースは4畳あるかないかだった。
家賃は確か8万円、彼が5万円出すから3万で住まないか?という誘いだった。
どうも割が悪い気が今ならするが、その前は風呂無しトイレ共同の下宿暮らしだった。
一刻館の、管理人さんが響子さんじゃなくて普通のおばちゃんバージョンの下宿だ。
そこの家賃は3万円。
同じ家賃で台所、風呂付きに格上げされるというこの上ない話だった。
持ちかけてきた友人ともウマが合っていた。
だから誘われたんだろうし、誘いに乗ったんだろう。
住み始めてみるとかなり居心地は良かった。
部屋は狭いが大きな昔サイズの押し入れがあり、フスマを取っ払ってステレオセットやらテレビやら色々突っ込めたので案外充分な居住スペースが確保できた。
おまけにその家は期間限定借家みたいなやつで、3年だか後に取り壊されることが決まっていて、その期間住むなら壁に穴を開けようが色を塗ろうがぶち抜こうが、自由にしてよかった。
ぶち抜きはしなかったが二人ともかなり好きに出来たのだ。
友人は家事全般に精通していた。
料理も上手でよく一緒に食わせてもらった。
洗濯機は彼のだったが、好きに使ってよかった。
風呂は内釜で、ガチャガチャ回して炊くやつだったけど、いつでもただで風呂に入れるなんて夢のようだった。
CD、レコードを僕の何倍も所有していて、言えばいつでも聴かせてくれた。
確かレッドチェッペリンとかガンズアンドローゼズみたいのが好きで、二階の部屋ではよくレスポールをマーシャルに突っ込んで爆音で鳴らしたりしていた。
お互いの友人たちが夜な夜な集まるような家になった。
みんなだいたい音楽仲間だ。
よく鍋をやって夜中まで酒を飲んだ。
隣近所はたまったもんじゃなかったはずだ。
苦情があったのかどうだったか記憶に無いが、僕の彼女が、家の前で立ち話している隣家のおばあちゃんたちに麦茶をすすめて、仲良く話に加わったりしていたせいか、そんなにもめなかった気がする。
その暮らしの中で僕は洗濯が少し好きになった。
自分の分とついでに同居人の分を回し、でっかい洗濯カゴを2階へ、さらに上に登る狭くて急な階段があった。
階段の壁には同居人が青いペンキで突発的に殴り書きした誰かの歌の文句があったりした。
それは屋上へと続く階段だった。
屋上と言っても2畳程度のスペースで、床の板は所々剥がれていたり、手すりは折れていたりちょっと危険だったが、日当たりは抜群、風は吹き抜ける、晴れてさえいれば面白いように洗濯物が乾く天国のような場所だった。
遠くにサンシャイン60などのビル群、さらに遠くの方に富士山が霞んで見えることさえあった。
思う存分に洗濯物を干し、タバコを吸いながらしばしば呆然とした。
そんな些細なことを、一度も思い出さなかった光景をさっき唐突に思い出した。
空の青、ペンキの青、富士山の霞んだ青を。
暗い階段を抜けた先にささやかに広がるあの光景を。
2年くらい経って僕だけその家を出ることにした。
理由はたいして覚えていないけど、同居人とうまくいかなくなったような記憶だ。
つい先日、20年やり取りがなかった彼からメールが来た。
フェイスブックのメッセンジャーというやつだ。
彼は僕に謝ってきていた。
ずっと気に病んできたと。
そんなに謝る必要はないよ、こっちも悪かったんだろうし、そもそも君が覚えてるほど、僕には記憶が残ってない。
またいつか会って、あの頃の話でもできたらいいね、と話を終えた。
その時には思い出さなかったあの光景を、なんで今になって、しかも深夜の地下鉄の中で突然思い出したんだろう。
あまりにも鮮明で確かな記憶だ。
あの頃彼が聴かせてくれた、なんとかという外人グループの「天国への階段」という邦題曲がとても合うんじゃないかなと思うんだけど、曲のほうはさっぱり思い出せないよ。