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映画の会の席を立ったのが21:30
早く行かないと今日中に今日が終わらない。

ギロッポンというからにはさぞかしオシャレなバーを貸し切ってるんだろうと思っていたら、場末の小さなスナックだった。
20人を超えるおじさんたちがぎゅうぎゅうになっていた。
いるいるいる。
あああいつだ、全然変わってないな、だったり誰だっけこれ、だったり、面影はあるけどかなりデブで年取ってたり様々すぎてめまいがした。
店のママは70を超えているか?
ビシッとスーツを着て、ぐちゃぐちゃの中を颯爽と歩きまわり、新顔の僕を素早く見つけ何を飲むか聞いてくれる。
こういう場ではハイボールが便利だ。
みんな飲んでるし、長持ちするし、そんなきつくないから酔いも緩やかだ。
ここへ来るまでに結構飲んでいる。
控えなきゃ帰れなくなるぞ。
けどもあいつと話してこいつが加わって、そいつはどいつだと立て続けに話すうちにどんどんヒートアップしていくものだな。
なんせお互い詰め襟着てた者同士がタイムスリップして髭生やして酒を飲んでいるのだ。
軽い違和感と変わらない馬鹿騒ぎで、どうにもこうにも酒を飲む手が止まらない。
グラスが空になるとママがスッとやってくる。
さすがギロッポンで何十年も戦ってきたマダムだ。
目も鋭いし動きもしなやかだ。
カラオケが始まった。
修学旅行のバスで吉原が歌ってくれた「夏の日の1993」で遠い記憶がフラッシュバックする。
よく聴くとひどい歌詞だ。
今の時代ではコンプライアンス的にアウトだ。

奥からマスターが出てきた。
ママに比べればだいぶおじいちゃんに見えるが、こちらが年相応なんだろう。
ママが若すぎるのだ。
この店はカラオケシステムがちゃんとあるのに、それを使わず、マスターがリズムボックスを鳴らしギターを弾いて、その伴奏で客が歌うという謎のシステムがあるようだ。
しかも彼がテキトーにランダムに?いや計算してなのか?打ち出すリズムが全く原曲とかけ離れていてかなり奇妙なのだけれどみんな酔っ払っているので全く気にせず気持ちよく歌う。
一度行ってみるといい。
分厚い歌本があるのでマスターのレパートリーはおよそ無限だ。
ギターを貸してもらって歌った曲は当時、その曲が歌いたくて初めてギターを覚えて弾いた曲だ。
コードがやたら多くて大変だったもんだ。
気づいたら0時過ぎ。
今日が今日では終わらなかった。
とっくに終電ない。
かなり酔っていた。
10人くらい残って、店を出て居酒屋に入ったのは覚えている。
緑茶ハイみたいなやつを一口飲んで寝た。
起こされたのは2時か3時か。
みんな散らばっていく。
この時点で持ち金があまりないことに気づいていた。
もう飲めない。
彼らについていく気力はない。
どっか寝れるところ。
漫画喫茶とか、京都で覚えた個室ビデオにでも行けば安くて寝れるはずだ。
ひとり街を歩き出した。
フラフラだった。
情けない。
まっすぐ歩けない。
なにくそと歩いた。
六本木にはそういう店が見つからない。
闇雲に歩くとだんだん街から遠ざかり、暗くなっていく。
元来た道を戻る。
駅周辺に戻り、反対に歩く。
けどなにも見つからない。
ひょっとして目が開いてなかったのかもしれない。
見つけることを億劫に思っていたのかもしれない。
ただただひたすらに歩いた。
暗くてビルに囲まれた高速の下あたりにいた。
かなり歩いたおかげで酔いも覚めたようだ。
しかしとたんに寒い。
行き場はなく、始発まであと2時間ほど。
人通りも全くない、歩道橋に上がるエレベーターに乗り込んだ。
風がない分なんとも温かい気がする。
床に座って目を閉じた。
いや、こんなとこで寝たらちょっと死ぬ。
バッグから文庫本を取り出して読む。
薄暗いから目を凝らすがまた眠くなる。
こんなとこに人が乗ってきたらどうしよう。
LAだったら殺される。
東京は殺されることはないが、ちょっと気まずい。
仕方なく外に出た。
風が強く吹いている。
都会のビルの谷間は冷たく強い風を生み出すのだ。
風から逃げるように、また歩き出した。
早く歩けと背中を風に押されるように歩くのだ。
始発まで歩き続ければ、眠りもしないし、寒くて死ぬこともない。
都会で生き抜くために僕はただ闇雲に歩き続けたのだった。