町田さんから連絡があった。
あの宮前町の大家のおばあちゃんだ。
入間に来て家探しをしたとき、マンションやらいろいろ見たが、1番気に入ったのが町田
さんちの離れだった。
部屋はふたつ、台所はひとつ、トイレもひとつ、たったそれだけの古い平屋だ。
縁側があること、玄関が広いこと、トイレが広いこと、などなど。
あとは日当たりがとても良いこと。
東京のマンションと間取りが似ていた。
東京のそれはワンエルディーケー・テラス付き。
入間のそれは二間・庭付き。
洋から和への大々的な変化だ。
洋の部屋は、バストイレが一箇所に押し込められていたし、キッチンはライクアキャットヘッド(猫の額)だった。
良いのは職場まで1分、妙に広いテラスがとても気に入っていた。
洗濯物を広々干したり、キャンプテーブルを置いたり、七輪で肉を焼いたりできた。
けど一度隣のマンションの人からケムいと苦情が来てやめた。
さすが東京、隣のマンションが飛び移れるくらいニアーなのだ。
そしてなにより家賃が高い。
同じような広さの平屋で値段は3分の1になった。
車は庭先に停められた。
東京はだいぶ遠くなったけど、そんなに用事はなかったし、車でビューンと行けるのは気持ちよかった。
町田さんちはすぐ隣だったけど、間に塀みたいなのあったし、なにより距離の取り方が上手な人だった。
お世話を焼いてくれるがズカズカ来たりしない、気づかないうちにやってくれたりする。
うたこが生まれてからはだいぶお世話になった。
赤ちゃんより大きくなってからだけど、預かってあげるからちょっと用事済ませたり、寝たりしときなさい、なんて感じにとても助けてくれた。
うたも、まちださんちであそぶーなんて言ってなかなか帰ってこなかったりした。
風呂場は広さはあったけど、風呂桶は古い小さいやつだった。
正方形で深くて、入るとき足を上げてよっこらしょタイプのあの水色のやつだ。
小さい子を入れるのに大変だろうと、途中で新しくしてくれた。
浅めで長方形でクリーム色のやつ。
足を伸ばして、お腹にうたを乗せて入れるようになった。
60ワッツを休止して、ちょっとしたら山さんが「たけしくん、バンドやろうぜ」と誘ってくれた。
正直バンドはしばらくいいやと気乗りしなかったくせに、気づいたら曲作ってツアーしてアルバムまでできた。
タイトルは「入間市宮前町6-37」という現住所にした。
ジャケットは平屋の縁側にゴンが座ってる写真にした。
嫌がるかなと町田さんにエクスキューズはした。
離れってことは住所一緒だしね。
そしたら、あら嬉しい!こんな素敵なの作ってもらってって。
これ買った人が訪ねて来たりしないの?って友達が心配して言った。
いるかもしれないけど、そしたらお茶でも出して縁側で話でもしようと思っていた。
人恋しかったのかな。
残念ながら僕が在宅してるときに来る人はいなかった。
記憶は曖昧だけど、確か町田さんが家の写真を撮ってる人がいたと言った。
ごあいさつしたらね、ニコニコお話ししてくれたのよって言ってたから良い人だったようだ。
3年くらいして、うたが保育園に通い出した頃、知り合いの不動産屋のおばちゃんが、手頃な一軒家見つけたわよって教えてくれた。
小さいけど二階建ての新しいめの家だった。
ちょっと家賃は高かったけど、とても気に入ってしまい引っ越すことにした。
ちょっとだけ近所のトラブルがあったのもある。
町田さんには申し訳ない気がしたし、とても残念がってくれた。
町田さんは数年前に旦那さんを亡くしていた。
とってもいい旦那さんだったことは話を聞いていればわかった。
ただ、子供が巣立って、時間ができた頃、町田さんが外に出て働きたいと言っても頑としてノーだったらしい。
昔のご主人ってそういうとこあるよね。
うちの親父もそうだった。
まだ生きてるけど。
町田さんはちょっと早めに旦那さんを看取ったあと、翼が生えたように外に出るようになったんだな。
違うな、それだと旦那さんを憎んでたみたいなニュアンス出ちゃうな。
お父さんをきちんと想っていたし、お父さんの言うことをきちんと聞いていた。
お父さんを最期まで見届けたから、これからはできることをどんどんやろうってなったのかな。
町内会の役員とか、老人会の会長さんとかをね。
忙しそうに毎日、車や自転車で飛び回ってた。
そんな人だから、うちが引っ越して、うたともそんな会えなくなって寂しいかもしれないけど、やることいっぱいあって忙しいから落ち込んでる暇もないだろうと思った。
宮前町を出てもう5.6年たった。
こないだ、うたと駅の向こうの映画館へアナと雪の女王を観に行った。
帰りテクテクと、公園を見つけるたびに寄り道しながらゆっくり歩いてると、オシッコがしたいと。
映画館を出るときにちゃんとしたけど、そういやもう1時間以上経っていた。
大きいコーラを全部飲んでたし。
急いだけど、まだ家は遠かった。
そうだ町田さんちはすぐそこだと、うたに提案した。
「まちださんだれ?」
「前住んでた家の大家の町田のおばあちゃんだよ」
「しらない」
ショックだった。
子供の記憶とはそんなもんか。
あんな孫のように可愛がって遊んでもらったのに。
なかなか家に帰ってこなかったのに。
でも会ったら思い出すだろうとピンポンした。
けどお留守だった。
相変わらず飛び回ってるのか、この時間はスーパーかもしれない。
うたが引き続き「オシッコ!」と叫ぶので諦めて神社まで走った。
そんなことがあった翌週、町田さんから連絡があった。
行ったのを近所の人にでも聞いたのかと思ったら違った。
男の人が訪ねてきたのだという。
その人曰く、友人にCDをコピーしてもらい、タイトルの住所を訪ねてきた。
町田さんはもう昔に引っ越した旨を伝え、連絡先を伝えようか迷った挙句、個人情報なのでやめた。
そしてその人の連絡先をいただいたので、お伝えしようと思ってと。
むーー怪しい。
連絡したところでどうなるというのか。
わざわざお訪ねいただきありがとうか。
いやそもそもなぜ今になって。
CDが確か2012年だからもう7年経つ。
さらにコピーとは。
せめて買ってくれたなら。
でももうどっかで買えないか。
今後もうこういうことが無いようにするには。
そうだ、次作をリリースせねば。
実はもうだいぶ前にレコーディングは終えている。
あとは吉川さんの編集がなされ、ジャケットを作り、量産すればリリースなのだ。
タイトルはちょっと迷っていたが、この件で固まった。
「さよなら入間市宮前町6-37」というのでどうだろうか。
そうすればもう訪う人もいないだろう。
ただしその友人がそれを買って、彼にコピーを渡しさえすればの話だ。